客員研究員
下中 菜穂
来るべき「更新の時」を迎えるまで
木々の梢や道端の草木が美しく色づき、そして散る。日ごとに景色が移りかわり、師走の日々が過ぎていきます。
この時期はなぜかソワソワと気がせくものです。さまざま雑事を片付けて、なんとか一年を締めくくり、まっさらに年を改め、始める。そういう「更新する」感覚が、古より脈々と私たちの中に組み込まれているようです。
今回は、この「更新の時」を迎えるまでの行事についてみていきましょう。
■「コトの日」
かつては大切な日だったのに、人々の暮らしや記憶から消えかかっている日があります。「コトの日」もそのひとつといっていいかもしれません。
12月8日を「コト始め」といい、それに対応する日として2月8日の「コト納め」があります。「コト」っていったい何のこと? いったい何が始まり、何を納めるのでしょう?
・12月に始まり2月に納めるのは「正月の神事とその準備」
・2月に始まり12月に納めるのは「1年の農作業とそれにまつわる祭事」
つまりどちらも、「コト」とは「神ごと」「祭ごと」を指しているといえそうです。
旧暦では2021年12月30日と2022年3月20日(春分の日)がこの日にあたりますから、この日取りはまさに、正月と春の農事の始まりに一致するようです。
この日には、様々な不思議な風習があります。
鳥取県伯耆(ほうき)地方では、ウソツキ豆腐といって、この日に豆腐を食べると1年間についた嘘が消えるのだそう。
節分のヤイカガシのようなものを戸口に挿したり、子供達がサザエの殻を引いて歩いたりする風習もあります。
宇都宮などの栃木県央や、茨城県南部一帯には、この日に「笹神様」を祀る風習があります。
西日本の海岸沿いの地方では、12月8日を「ヨウカブキ(八日吹き)」といい、この日には必ず強風が吹くといいます。この強い季節風によって、海岸にハリセンボン(フグの仲間の魚)が打ち寄せられるので、これを拾って門口に吊るして魔除けや疫病除けとするのだそうです。
なんといっても面白いのは、12月8日に広く行われる「目籠(めかご)」を竹竿の先に高く掲げ、軒先に立てるという風習です。
この日は、ミカエリバアサン(ミカリバアサンとも。一体どんな婆さん!?)やダイマナコ(大きな眼)、一つ目小僧や鬼などの妖怪が来るので、たくさんの「目」を持つ籠でそれを避けるのだとされます。籠の目で退散する妖怪って!? なんだかちょっと愛嬌がありますね。
柳田國男は『一目(ひとつめ)小僧その他』という論考を著し、妖怪は山の神が零落した姿だと説きました。かつて生贄として神官の目を潰し足を挫く風習があったこと、タタラ製鉄で目が潰れた山人を異能の神と考えたのではないかなど、「一つ目」をめぐっては多くの説が唱えられています。
■「煤払い」
年末といえば大掃除。江戸という都市の煤払いはどんな様子だったのでしょうか?
江戸城中の煤払いが12月13日と決められたことにならって、藩邸や武家屋敷、町家に至るまで、この日に煤払いをするようになりました。それは13日が徳川家光の忌日だったことに由来するといわれています。
江戸の町全体で一斉にバタバタと煤や埃を払うのです。さぞや壮観、賑やかだったことでしょう。
『東都歳事記』(斎藤月岑/編著)より「商家煤掃(すすはらい)」。江戸の商家における煤払いの様子。
農村でも、江戸の習慣にならってか、やはり13日にするところが多かったようです。
家の中には囲炉裏や竈があって生火を焚いたので、梁や天井などにたっぷり煤が溜まります。この日のための箒は、「煤男」「煤梵天(すすぼんてん)」と呼ばれる特別なものでした。
煤払いでスッキリした町中には、さまざまな人々の姿があふれます。年末の江戸の町を覗いてみましょう。
『東都歳事記』(斎藤月岑/編著)より
右上は小間物屋でしょうか。馬で松を運ぶ人もいますね。江戸では松はこうやって歳の市から買ってくるものだったのですね。左上は本屋さんです。江戸時代には、正月に一斉に新刊本や浮世絵を売り出したので、年末はその準備で大忙し。威勢よく路上で餅を搗く音も聞こえます。本屋の前で、笠をかぶって太鼓を鳴らし賑やかに唱えごとしているのは「節季候(せきぞろ)」です。
■餅のこと
江戸では、忙しい商家のために、竈や蒸籠、臼や杵などの一式を持って、家ごとに餅を搗いて回る商売があったそうです。『東都歳事記』の路上の餅搗きも、そんな風景だと思われます。これを「賃餅」や「引き摺り」と呼んだそうです。
お! 「ちんもち」。この言葉には覚えがあります。
これは、30年近く前に近所で撮った写真です。今はもうなくなってしまった和菓子屋、玉川屋さんの店先です。懐かしいなあ。
そう、この店先の札に「ちん餅」とあったのです。当時は、「ちん」と丸い形だから「ちん餅」なのかな〜可愛いなあ、なんて思っていたのですが、これ「賃餅」のことだったのですね! 正月の風景は様変わりしても、商店街の片隅に江戸の言葉が残っていたんだなあ。
それでは、みなさん、年末の大掃除、埃や汚れだけでなく、疫病神も掃き出して、よい新年をお迎えください。
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