客員研究員
下中 菜穂
薬としての菊。愛でる菊。
奇数(「陽」の数)の重なる日取りを「五節供」として、時の流れに句読点を打ってきた暦。
いよいよ最大数の「九」までたどり着きました。
9月9日は「重陽(ちょうよう)」、菊の節供です。
陽の気は良いものではありますが、それも過ぎたるは及ばざるが如し。
この日を悪しき日であるとして、邪気を祓います。
しかし私達にとってこの行事は、ほかの節供と比べて、どこか馴染みが薄いのは否めません。
新暦ではまだまだ秋の気配が薄く、暑い盛りであることに加え、この節供の主役である「菊」の開花はまだまだは先ということもあるでしょう。
そのうえ、今や菊は、1年中いつでもある花になってしまいました。
本来の菊の開花時期はいつだったのかしら? なんだかそれも覚束ない始末。
下の写真は、新暦11月の東京で撮影したものです。
今年の旧暦の重陽は10月25日。それなら、そろそろ菊もほころびそうですね。
では、「菊」の視点で「重陽」の行事を見ていきましょう。
■中国での菊――不老長寿の薬
まずは、菊の原産国である中国から。
中国では、花の少ない晩秋に、香り高く咲く菊の姿に高い精神性を感じ、蘭、竹、梅とともに「四君子(しくんし)」として詩に詠まれ、文様とされてきました。
また、中国最古の漢方書といわれる『神農本草経(しんのうほんぞうきょう)』(後漢〜三国時代に成立)には、めまいや眼病、耐老延年の薬として載っており、観賞より実用の植物でした。
中国の神仙の世界では、菊は霊薬とされ、『抱朴子(ほうぼくし)』の中には、菊を使った不老不死の薬の処方が次のように書かれています。
白菊の汁、楮(こうぞ)の汁、ヌルデの汁で丹(※水銀の鉱石鉱物のこと)を和え、これを30日間蒸したものを薬研(やげん)ですり混ぜる。1年間これを服用すると500年生きられる。老人が服用すれば若返り、少年が服めば歳を取らない。
(なんと! こんなに具体的に書いてあると、試してみたくなりますね。)
この菊の薬効ゆえに生まれたのが、重陽の「菊酒」の風習でしょう。
菊の咲く山里の水を飲む長寿の村の言い伝えもあり、この日に飲まれる菊酒には、長寿の効があるといわれています。
かつては菊花を入れて醸造したようですが、後には酒に菊の花びらを浮かせたり、葉を浸したりして香りを移すようになりました。
■平安時代の菊――宮中文化として展開
日本に菊が渡来したのは奈良時代だといわれています。
しかし、不思議なことに、160種類もの植物が取り上げられている『万葉集』には、菊の花を歌ったものがひとつもないのです。
そんなところから、秋の七草のひとつであるフジバカマ(藤袴)が菊のことだった、という説もあるようです。
平安時代の宮中では盛大な「菊花の宴」が催され、その中から日本独自の行事も生み出されました。
菊をテーマに歌を競う「菊合わせ」や、菊花の露を染み込ませた真綿で身体を拭えば若返るとされる「菊の着せ綿」の風習は、この時代の日本で生まれたものです。
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客員研究員
下中 菜穂
以て遠くを眺望すべし
「重陽」の節供をめぐって、「菊」の次に「登高(とうこう)」についてお話ししましょう。
登高とは、重陽に茶菓や酒肴を持って高いところに登り、野宴をはる風習のこと。
本来、小高い丘や小山に登ったようですが、後に寺塔や高い楼閣などに登るようにもなりました。
もともとは中国の風習で、こんな故事が語られます。
後漢の道士、費長房が弟子の桓景に「九月九日に災難があるから、家人とともに茱臾(シュユ)の実を入れた袋を肘に吊るして山に登り、菊酒を飲めば災厄から免れるだろう」と告げた。桓景が急いで故郷に帰ってその通りにし、翌日戻ってみると家畜が皆死んでいた。それでも家族は災厄を免れることができた。
この災厄とは疫病だったともいわれ、コロナ禍の渦中の私たちにとっては、「先人たちも数々の災厄を通り抜けてきたんだな〜」と、なんだか身につまされます。
■「登高」の目的とは?
「高いところに登る」。
それは、どんな意味があったのでしょう? 想像してみたいと思います。
旧暦9月9日は、収穫も終わり、ほっとひと息つく頃。実りの喜びをかみしめる秋です。
高いところからは、何が見えるでしょう?
眼下に見えるのは収穫の終わった田畑と穏やかな里の風景でしょうか。
はるか彼方には、まだ見ぬ世界が広がっているのが見えるかも知れません。
頭上の空は高く、雲が描く壮大な天上のドラマを目撃することもあるでしょう。
日常とは違う風景の中に身を置くことで、思いは遠く離れた故郷や人、来し方行く末におよぶかもしれませんね。
そもそも「眺望」という言葉は、単に眺めるだけでなく、「雲気を望みその妖祥を見ること」なのだといいます。
つまり、これから起こることを見通す大きな視点を持つための「高いところ」なのではないでしょうか?
収穫が終わる季節の節目に、視点を変えて、暮らしを振り返る。
1年の恵みを与えてくれた土地を眺望して感謝し、未来に思いを馳せる行為だったのです。
そう、
「以て遠くを眺望すべし」(『礼記』)
これこそが、「登高」の本当の目的でした。
これは今、コロナ禍で家に籠もり、視野が狭くなりがちな私たちにとって、まさに必要なことかもしれませんね(ああ、遠くが見たい!)。
言葉で「視点を高く」「先を見よ」と説くのではなく、「高いところに登る」という実際に身体を伴う行動に人びとを導き、自ずと気付くのを待つ。
この行事のなかには、そんな智恵が仕組まれていたのです。
さらに『中国の年中行事』(中村喬著 平凡社)によれば、「(春、水辺で遊ぶ)川禊ぎが身の過去の穢汚れを洗い流すのに対し、高爽眺望の秋は未発の不祥を祓うものであったといえる」とあります。
なるほど!
春に行われる「上巳(じょうし)」の節供(桃の節供)の流し雛や、海や川での野遊びには、農事の始まる前の「禊ぎ」の意味がありそうです。
収穫が終わった秋には、来年の実りを寿ぎ、これから起こるかもしれない災いに備えるということでしょうか。
このように1年の行事はお互いに響き合い、深い深呼吸をするように、過去と今、未来を行き来していたのです。
飛行機から地上の風景を「眺める」。これも現代の「登高」のひとつかも。
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くらしのこよみ友の会事務局
「重陽の節供句会」を開催しました!――講評会と秀句発表
2020年3月、くらしのこよみ友の会では「桃の節供句会」を開催しました。
このとき俳句を初めて詠んだという会員の方も多かったのですが、参加してたいへん楽しかったという感想を皆さまからいただきましたので、このたび季節をかえ、菊の節供にちなむ「重陽の節供句会」を開催いたしましたことを、ここにご報告いたします。
節供の主役である「菊」またはその傍題の季語を入れて1句、お好きな秋の季語で2句詠むことをルールにし、全作品に対する講評と添削は、前回と同様に「くらしのこよみ」アプリ内俳句解説でおなじみの望月とし江先生・押野裕先生にお引き受けいただきました。
8月17日~8月31日の期間でオンライン投句を募り、16名の方から全48句の投句が集まりましたが、今回は皆さまにお集まりいただく形での講評会は開催できず、望月先生にご出演を願っての「オンライン講評会」(9月12日)を行うこととなりました。
講評会当日は、全投句者の作品1点ずつに対して望月先生に細かくご指導をいただいたほか、先生方にお選びいただいた特選3句・並選10句と、会員による互選結果の発表・表彰が行なわれました。
全国の研究員さん同士でつながることができるという、オンラインならではのメリットもあり、先生からの容赦なくも鮮やかな添削ご指導に、参加者一同、また一歩俳句の楽しさに近づくことができたようです。
以下に、特選・並選作品をご紹介いたします。( )内は作者です。
<特選>
祖父の手の皺染む墨や菊日和 (そらみみ)
稲穂垂れ豊旗雲のゆうゆうと (みうきい)
菊に聴く父の見たもの触れたもの (三澤純子)
特選に選ばれたお三方には、『季語成り立ち辞典』(平凡社刊)を贈呈いたしました。
<並選>
白菊の刻んで揺れる宵の風 (モカの寝床)
菊に添う祖母の手の香お線香 (おごもん)
重陽の愛でたさ更に君うまれし (さくらちゃん)
菊枕平安の世に夢とばし (ミミ)
行き合いの空や三時の機影ゆく (大関)
共白髪祝いて酌みし菊の酒 (神谷真生)
持ち帰る水筒重し秋の子ら (すの)
折り紙に祖父の似顔絵菊手向け (みよし)
また、先生方にはたいへん丁寧かつ愛情に満ちた添削をいただきましたこと、事務局サトエミの手になるグラフィックレコーディングにて、その一部をご紹介します!
友の会開催の句会も、これで2度目となりました。
今回は「菊」の季語がなかなか難問だったという声、まだ残暑厳しい8月下旬に投句開始だったため、なかなか秋の気分になれず難しかった、といったコメントもいただきましたが、参加した皆さまには、俳句という遊びを通じて、一足早く秋を味わっていただくことができたのではないでしょうか。
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行事をたのしむ「七夕」にご協力くださった研究員のみなさん(順不同、敬称略)
(客員研究員&編集)
下中菜穂、木下着物研究所、神谷真生、田中宏和
(研究員)
あきらこ、みうきい、茶と料理 しをり、大関、山﨑修、モカの寝床、そらみみ、ミミ、鎌田幸子、奥次郎、さくらちゃん、オッチー、美穂、三澤純子、サトエミ、みよし、すの、おごもん
ご協力ありがとうございました!